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徳川埋蔵金の総額はいくら?

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徳川家康といえば天下統一を果たしたことで有名な武将です。

1603年に征夷大将軍に任命され、江戸幕府を開きます。

後の15代将軍徳川慶喜大政奉還をし、明治政府に変わるまで265年間続くことになります。

長年に渡って時代を築いた徳川家ですが、気になる徳川家の資産。

いわゆる埋蔵金を現在の価値にしたら、いくらになるのか紹介していきたいと思います。

 

豊臣秀吉埋蔵金

徳川家の埋蔵金を説明する前に、豊臣秀吉埋蔵金から説明していきます。

 

なぜ?秀吉の埋蔵金から説明するかといいますと、家康は秀吉が生きている時から、秀吉の資産を調査していました。

秀吉は、莫大な金銀の採掘に成功していたのです。

秀吉の資産総額は、現在の価値にすると200兆円とも予想されます。

すでに秀吉の資産総額に気付いていた家康は、秀吉が死んだあと、何かと理由をつけて財産を使い込むようになります。

家康は天下分け目の戦い、『関ヶ原の戦い』で勝利を収め天下統一を果たします。

 

関ヶ原の戦いに協力してくれた、家臣達に恩賞を与えなければいけません。

ここで、豊臣家の財産を使い恩賞を与えたとされています。

他にも、江戸幕府を運営する資金としても使ったとされています。

秀吉の財産を全て手に入れたかは不明ですが、かなりの金額を使用したことでしょう。

徳川埋蔵金は、400万両。

現在の資産価値にすると、3800億円と言われています。

徳川家の資産に、秀吉の資産も加えるととんでもない金額になります。

 

まとめ

豊臣秀吉の資産額200兆円

徳川家康の資産額3800億円

秀吉の資産額が凄すぎて、家康の金額がかすんでしまいます。

 

 

武田信玄埋蔵金

 

黒川金山梅ヶ島金山などから、大量の金を産出に成功した武田信玄

大量の金を資金源に、戦国一の騎馬軍団を率いて、信濃駿河などを収めました。

天下統一に最も近いといわれた武将の1人でしたが、信玄は夢半ば病死してしまいます。

2代目勝頼の代で、弱体化し武田家は滅んでしまいます。

埋蔵金は、武田家が滅亡する前に隠しました。

隠し場所は、甲州市の鶏冠山、諏訪湖と噂されています。

1971年に、日本のワインの産地であ甲府市勝沼町のぶどう農園から埋蔵金と思われるものが見つかります。

ひるも金」と呼ばれる、室町時代の金貨2枚と「甲州」が18個発見されました。

甲州金とは、武田信玄の収めていた甲斐国で使われていた通貨になります。)

武田信玄埋蔵金ではないかと噂されましたが、武田氏の家臣、勝沼信友の隠し財産であることが有力視されています。

 

明智光秀埋蔵金

織田信長の優秀な部下であり、『本能寺の変』でも有名な明智光秀埋蔵金

本能寺の変』で勝利した後、安土城を我が物とした明智光秀

手に入れた、金銀を一部の朝廷や部下、味方してくれた武将に分け与えました。

残った金銀は明智光秀の城、坂本城に急いで運びます。

運んだはいいものの、山崎の戦いですぐに豊臣秀吉に敗北。

坂本城を守っていた光秀の重臣明智秀光が全ての金銀を、琵琶湖に沈められたとされています。

日本でも有名な観光スポット、琵琶湖に明智光秀埋蔵金織田信長のがほとんどになりますが。)があると思うと余計に魅力的に見えてきます。