徳川埋蔵金の総額はいくら?
徳川家康といえば天下統一を果たしたことで有名な武将です。
後の15代将軍徳川慶喜が大政奉還をし、明治政府に変わるまで265年間続くことになります。
長年に渡って時代を築いた徳川家ですが、気になる徳川家の資産。
いわゆる埋蔵金を現在の価値にしたら、いくらになるのか紹介していきたいと思います。
豊臣秀吉の埋蔵金
徳川家の埋蔵金を説明する前に、豊臣秀吉の埋蔵金から説明していきます。
こんにちは。
— Show和の宿つちや~豊臣の隠れ茶の間~ (@Show8tsuchiya) 2019年8月18日
いよいよ今週ですね。
8月21日(水)太閤秀吉シンポジウム&豊臣秀吉の歴史授業。
豊臣秀吉公出生の地中村にて。#太閤秀吉シンポジウム #豊臣秀吉 #歴史授業 #中村文化小劇場 #2019年8月21日 #中村区 pic.twitter.com/FYH8ClVqoy
なぜ?秀吉の埋蔵金から説明するかといいますと、家康は秀吉が生きている時から、秀吉の資産を調査していました。
秀吉は、莫大な金銀の採掘に成功していたのです。
秀吉の資産総額は、現在の価値にすると200兆円とも予想されます。
すでに秀吉の資産総額に気付いていた家康は、秀吉が死んだあと、何かと理由をつけて財産を使い込むようになります。
家康は天下分け目の戦い、『関ヶ原の戦い』で勝利を収め天下統一を果たします。
石田「密なり!!」#コロナ#関ヶ原の戦い pic.twitter.com/Ze0OT4D87N
— mazzo (@Ru06o2oQVIjxoht) 2020年5月18日
関ヶ原の戦いに協力してくれた、家臣達に恩賞を与えなければいけません。
ここで、豊臣家の財産を使い恩賞を与えたとされています。
他にも、江戸幕府を運営する資金としても使ったとされています。
秀吉の財産を全て手に入れたかは不明ですが、かなりの金額を使用したことでしょう。
徳川埋蔵金は、400万両。
現在の資産価値にすると、3800億円と言われています。
徳川家の資産に、秀吉の資産も加えるととんでもない金額になります。
まとめ
豊臣秀吉の資産額200兆円
徳川家康の資産額3800億円
秀吉の資産額が凄すぎて、家康の金額がかすんでしまいます。
どっかに、埋蔵金埋まっていないかな
— 大須ブログ (@mike_inagaki) 2020年4月14日
豊臣/徳川家の埋蔵金なら、毎日眺められるとこに光って見えるがw pic.twitter.com/XvqOnFn96H
武田信玄の埋蔵金
「家康公を苦しめ、人間として成長させた武神」#武田信玄 pic.twitter.com/RmtA7Is1ji
— 三國志VS戦国時代 (@tweetjoker011) 2020年5月14日
黒川金山や梅ヶ島金山などから、大量の金を産出に成功した武田信玄。
大量の金を資金源に、戦国一の騎馬軍団を率いて、信濃・駿河などを収めました。
天下統一に最も近いといわれた武将の1人でしたが、信玄は夢半ば病死してしまいます。
2代目勝頼の代で、弱体化し武田家は滅んでしまいます。
埋蔵金は、武田家が滅亡する前に隠しました。
1971年に、日本のワインの産地であ甲府市勝沼町のぶどう農園から埋蔵金と思われるものが見つかります。
「ひるも金」と呼ばれる、室町時代の金貨2枚と「甲州金」が18個発見されました。
(甲州金とは、武田信玄の収めていた甲斐国で使われていた通貨になります。)
武田信玄の埋蔵金ではないかと噂されましたが、武田氏の家臣、勝沼信友の隠し財産であることが有力視されています。
明智光秀の埋蔵金
織田信長の優秀な部下であり、『本能寺の変』でも有名な明智光秀の埋蔵金。
手に入れた、金銀を一部の朝廷や部下、味方してくれた武将に分け与えました。
坂本城を守っていた光秀の重臣、明智秀光が全ての金銀を、琵琶湖に沈められたとされています。
日本でも有名な観光スポット、琵琶湖に明智光秀の埋蔵金(織田信長のがほとんどになりますが。)があると思うと余計に魅力的に見えてきます。
滋賀琵琶湖の魅力を知ってもらいたい。 pic.twitter.com/gUO2tdqv6a
— Iori Takano (@_iori_xx21) 2020年5月17日